2004年8月2日掲載
Nina Simone      At Newport
Colpix原盤        1960年6月録音

 タウン・ホールでのコンサートの成功で一躍時の人になったニーナは、その約半年後には、ニューポート・ジャズ祭に出演しました。恐らくはタウン・ホールのライブ盤がまだこの世に出ていなかったと思いますので、そこでの成功が口コミで広がっていった結果だと想像します。

 さてニューポート・ジャズ祭とはどれほどのものなのかを、この盤に解説を書いている高田敬三氏の文章から紹介します。タバコの商売で財を成したロリラード夫婦とジョージ・ウィンによって1954年7月に第1回目が行われました。1958年の第5回目は、映画になったので、ジャズ・ファンなら誰でも観たことでしょう。

 そして、第6回目にニーナが出演したのです。ニーナが出演した6月30日の出演メンバーは次の通りであります。キャノンボール・アダレイ,アート・ファーマー,ベニー・ゴルソン,デイブ・ブルーベック,ディジー・ガレスピー,ジェリー・マリガン,そしてサッチモという凄い顔ぶれであります。この中でニーナの出番は、アダレイの次に用意されていました。

 アル・ジャックマン(g),クリス・ホワイト(b),ボビー・ハミルトン(d)を従えての、ステージです。

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 キャノンボール・アダレイのことだから、初っ端から会場を盛り上げたに違いない。また出演者数から考えて、ニーナ開始直前に会場入りした方も多かったことだろう。こんな状況の中でニーナは、軽快なブルースを歌って弾いて、観衆をしっかり掴んでいる。この「トラブル・イン・マインド」での聴き所は、中程でのピアノである。明るさを保ちながらも、人の悩みを見事に表現している。

 続いては、短いしゃべり観衆との距離を縮めて始めたバラッド「ポーギー」である。彼女はステージでの観衆との間合いを短い言葉で的確に掴むのが上手く、続くトラディショナル・フォークの「リトル・ライザ・ジェーン」では「私のタンバリンはどこ」と言いながら、ユーモア溢れる雰囲気を作り出している。その流れに乗って、タンバリンを叩きながら歌っているのである。

 そして、この作品の白眉が次の曲「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」である。シングル・トーンで入り、これでもかのもの悲しさを演出している。次第に他のメンバーも演奏に加わっていき、埋葬行進曲のような悲しさを表現している。その後に来るニーナの歌は、解説の高田氏に言わせれば、宗教歌なのだ。この不思議な雰囲気でこの曲を演奏し歌っているのだが、素直に聴く側が加わっていくのが不思議である。終わった後の拍手は、最大限の賛辞のものだ。ジャズ・フェスでこの手の演奏で観衆を盛り上げる能力だけとっても、ニーナの才能が分かるというものだ。

 重苦しい曲はこれだけで、後に続く3曲で、また会場を明るくしている。初めて彼女のライブに接する観衆が多かったはずであるが、そんな観衆を即座に掴めるエンターテナーとしての彼女が、ここにいるのだ。