1999年9月20日掲載
John Hicks with David Murray  sketch of tokyo
DIW原盤                                1985年4月録音

 この年の4月9日に横浜市教育会館で、マレイのソロ・コンサートがありました。当初は梅津和時、 片山広明、井野信義、豊住芳三郎との競演が予定されていたのですが、マレイは何らかの理由でこれを拒んだようです。1部が日本人バンド、2部がマレイのソロという構成になりました。パンフレットも手書きでソロと追記で強調しており、開演前の場内アナウンスも競演はないと再三再四繰り返していました。コンサートはそれぞれ白熱した演奏だったのですが、凄かったのはアンコール。日本人バンドが舞台に出て、さらにマレイが登場すると大きな拍手が起きましたが、その後は客席も日本人バンドも緊張感から咳一つ出ない静けさがホールを覆いました。一体何が起きるのだろうという気持ちを、全員が抱いていたいたはずです。その時会場から“片山、負けるなよ”との掛け声がかかり、客も日本人バンドにも笑みが出て、緊張感が解けました。そんな雰囲気の中で、オーネット・コール マンの名曲“ロンリー・ウーマン”の演奏が始まったのです。当然ながら素晴らしい出来でしたよ。 この時に味わった緊張感はまさしくライブならではのものでして、ロックを含め何度もライブに接してきた僕にとっては、他では体験したことの無い感動的なものでしたね。

 そのコンサートの2日後に、1983年に初競演したジョン・ヒックスとのデュオで東京で吹き込まれたのが、本作品です。プロ デュースがヒックスになっているので、名義上だけではなく、実質的にもヒックスのリーダーでの録音なのでしょう。

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 マレイにとってデュオ作品は、1977年のフルートのジャームス・ニュートンとのヤツ以来8年振りでして、ピアノとは初めてになります。コルトレーンの“naima”やビリー・ホリデイの“god bless the child”、ヒックスのオリジナルのスロー・バラードであるタイトル曲などを演奏し、感動的に盛り上げようとする意図は分かるのですが、今一つ伝わって来ない面があります。マレイはバス・クラは良いのですが、テナーの音が少しかすれている感じがしますね。2日前のコンサートでもしきりにリードを気にしていましたしね。 その辺りの影響が、スタジオ録音でのデュオ作ということに出たのでしょうかね。もう一つ緊張感が感じられれば、本当に良い作品なのですけどね。

 ちなみにジャケットはマレイの奥さんミンの撮影した写真を使っていますが、クレジットでの彼女の名前に初めてMurrayと加わっています。正式結婚し たということなのですかね。