19630306-16

Untitled Original 11386 (take5)
(John Coltrane)              
(8分19秒)



【この曲、この演奏】

 二つの完走テイクの後にも演奏を繰り返し、二つの途中終了のテイクを挟んで、この5回目のテイクとなりました。これがこのセッションでのこの曲の演奏の、最後の演奏となります。

 前の途中終了の二つのテイクを聴くことは出来ませんが、恐らくはピアノの演奏スタイルに修正を加えていたのでしょう。この最後のテイクでは、曲の中でピアノが生き生きとしています。リズミカルで叙情的なこの曲に妖艶さを加え、このセッションでのこの曲の演奏は終了しました。



【エピソード、バーバラ・ガードナーの記事 その6】

 新進気鋭の若きテナーマンとして認められ、歓迎すらされていた。快適な地位を築いていたコルトレーンに対し、さらなる進化を求める者は一人もいなかった。その気になれば、第二のゴードンやグレイ、スティットになることもできたのだ。彼はその路線で認められ、歓迎すらされていた。アダレイはマイルス・グループ時代のコルトレーンを、”商業的に成功したと言うよりは、商業的に受け入れられた時代”と表現する。「コルトレーンはとにかくソロを吹いていたから、やがて街中のヒッピーが鼻歌で真似し始めたんだ。今も私は、鼻歌で彼のソロを吹いてヒッピーたちに挑戦している」

 コルトレーンを新たな方向へと狂奔させた火種が具体的に何だったのかは、今のところ不明だ。それはリード奏者当人にも分かっていない。アダレイは、部分的にはソニー・ロリンズが世に認められたからではないか、と考えている。

 「マイルスのアルバムが大ヒットし、その大半でプレイしていたコルトレーンの人気はうなぎ昇りだった」とアダレイは言う。「誰もが、どうやらあいつは本物らしいぞ、といった調子で”ジョン・コルトレーン”の名を口にするようになった。同じ頃、ソニー・ロリンズがちょっと独特なことをやり出して話題になっていた。だからジョンも思ったんだろう。そろそろ自分のアイディアで遊んでみようかってね」

(資料04より)



【ついでにフォト】

tp06007-026

2006年 香港島 トラム

(2021年4月15日掲載)