1970年1月3日(土)の新聞から

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日経「総ワク引っ込める、繊維規制、米 新たな協定案、特定28品目は残す、予備会議 七日再開も、トリガー方式復活」
 ここでの繊維規制とは、日米繊維交渉のことを指します、ウィキペディアによればこれは、広義には1955年から1972年にかけて日米で行われた交渉、狭義には1970年6月22日から24日の日米交渉を指します。

 狭義の1970年6月22日から24日はワシントンで行われ、宮沢通産相とスタンズ商務長官の会談でしたが、米側は前年の佐藤・ニクソン会談における「沖縄返還密約」を基に交渉を行い、宮澤は密約の存在を否定する佐藤の主張に沿って交渉を行い、その結果は交渉決裂となったのです。

 なお2012年7月31日付で外務省が公開した外交文書にはこの「沖縄返還密約」が含まれており、その存在が初めて確認されました。


読売「行政組織 動く社会に対応、行管庁が法改正いそぐ、次官補 スタッフ制、局部課改廃は政令で、46年度から実施めざす」
 明治以来のタテ割り行政を見直すことが目的でした。この動きでどのような改革が出来たのかはネットから情報を得られませんでしたが、それから50年後の今を見れば、成果無しだったのでしょう。

 行管庁とは行政管理庁のことで総理府の外局であり、今の総務省行政管理局・行政評価局がその機能を引き継いでいます。


朝日「四次防の輪郭固まる、長期の目標を設定、交通路確保へ守備海域も決める、対艦ミサイルを配備」
 四次防とは第4次防衛力整備計画のことで、1972年10月に第一次田中内閣で閣議決定されました。1972年から1976年までの五年間がその対象で、通常兵器による局地戦以下の侵略に最も有効に対処することを目的としました。これによりこの見出しにある対艦ミサイル搭載護衛艦1隻が整備されました。


この日の読売新聞から

気になった記事
 3面にあるコラム「海外短波」には、「パリの元旦、メデタシ五つ子」との見出しと、看護師5人に抱えられた赤ちゃん5人の写真が掲載されています。


目にとまった広告
 7面下に映画会社五社の広告があり、松竹は「チンチン55号ぶっ飛ばせ、出発進行」と「ミヨちゃんのためなら全員集合」の二本を宣伝しています。私はコント55号派ですが、この映画は観たことなく、逆にドリフの映画は数年前にBSでの放送を観ました。倍賞美津子と松岡きっこが光っていたと映画との記憶があります。


TV欄を見ると
 20:00をみますと、TBSが「8時だョ! 全員集合」、フジが「コント55号の世界は笑う!」を放送しています。どちらも大人気番組でした。