1957年10月16日(水)の新聞

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日経「麦 管理を合理化、農林省、総合対策要綱まとめる、買入価格一割引下げ、作付改善に資金制度」
 前年から逆ザヤになっていたとのことです。米だけではなく麦も政府が買入価格と販売価格を決めていたわけです。民間流通がいつから主流になったのかは調べられませんでしたが、2007年には制度としての小麦に政府買入制度はなくなったとのことです。
 しかしこれは国内産麦についてであり、輸入小麦については、1995年施行の主要食糧の需給および価格の安定に関する法律により、今でも政府買入が主とのことです。


読売「藤林会長、あっせん案提出へ、早ければ今週末にも、きょう国鉄労使と最終話し合い、機労とは物別れ」

朝日「今明日中に提示、藤林あっせん案、まず団交の再開を」

 労使紛争といえば鉄道会社、特に国鉄が主流でした。私は電車の運行がストップするニュースを定期的に見ておりましたが、自分が社会人になる頃には落ち着いておりました。

 藤林会長は公共企業体等労働委員会、略して公労委の委員長でした。この公労委は、三公社五現業の労働争議を所管し、不当労働行為の救済を行なった機関とのことです。その後1987年の国鉄民営化に伴い国営企業労働委員会(国労委)となり、翌年の1988年には中央労働委員会(中労委)に統合されました。

 藤林敬三氏は慶應大学の経済博士であり、労働経済論などを研究してきた方です。いくつかの機関の代表を務めており、その中の一つが公労委でした。


この日の朝日新聞から

気になった記事
 4面の「目」というコラムには、「コーヒー牛乳で競争」とあります。「引越しにはまずかけつけてお手伝いする牛乳屋さん」として、当時の牛乳余りを表現しています。その販路拡大に各社が目を付けたのが、コーヒー牛乳でした。前月から森永・雪印、当月から明治がコーヒー牛乳に参入するとのことです。この各社の「目」の付け方は、大成功となりました。


目にとまった広告
 1面の広告に「タイガー計算器」と大きく書かれたものがあります。大本寅治郎氏により大正時代に開発された手回し計算器であり、1970年まで発売されていました。今ではタイガーという社名で「トラックメイト」という運輸管理システムなどを手がけております。

さて広告に話を戻すとそこには、「日本が生んだ世界一流の計算器」とあり、「直接販売・成果厳守」と書かれておりました。


TV欄を見ると
 KRテレビ22:00から「地方検事」という番組があり、この日は「背信」という題でした。間違いなくドラマだと思うのですが、この番組に関する情報はネットから得られませんでした。それにしてもテレビ初期に検事ものがあったとは驚きです。