1961年3月23日(木)の新聞から

トップ記事

日経「開発基金に73億ドル、機関統一し効率化、ケネディ大統領、対外援助で特別教書」

読売「仲裁委、一応軌道に、公労協争議、きょう併合審査、九組合から事情聴取、仲裁委決定」

朝日「米対外援助特別教書、ケネディ大統領提出、開発促進条件に供与、非軍事の比重増加、実施機関を統合」

米の援助記事と公労協争議の件、三紙共に1面に掲載しております。


この日の読売新聞から

気になった記事
 2面の「時の人」というコラムで「中尾隆行」さんが取り上げられ、「マラソン初めて2時間20分を切った」と紹介されています。日本での記録のことですが、世界的にも10位となり、「3年後のオリンピックが楽しみだ」と書かれてます。
 東京オリンピックに出場した男子マラソン選手は3名、円谷幸吉(銅)・君原健二(8位)・寺沢徹(15位)であり、中尾選手は出場出来なかったようです。
 因みに福岡国際マラソンでの中尾選手、1962年は2位、1964年も2位です。しかしオリンピック前年の1963年には中尾選手の名前は見つかりませんでした。実力十分ながら、選考の重要な年に活躍できなかったようです。
 なお息子さんもマラソン選手となり、マラソンや10kmで活躍されています。


目にとまった広告
 雑誌明星の広告に「ガンとパンチはひきうけた、小林旭・宍戸錠」「飛び出したハイティーン剣士 松方弘樹・北大路欣也」とあります。この時代の若手スターは、いつまでもスターでしたね。


TV欄を見ると
 大相撲をNHK・東京テレビ(今のTBS)・日テレの3局で放送しています。ちなみにこの日の新聞では、柏戸が大鵬を押し切る瞬間を上手く捉えた写真が掲載されています。