1937年6月1日(火)の新聞から

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読売「後継内閣首班は何人、けふ西園寺公奉答、勅を奉じ内府興津へ急行、午後大命降下あらん」

朝日「林内閣愈々総辞職か、各相閣議後急遽参集、鳩首重大協議を邃ぐ」

 林内閣から第1次近衛内閣に移る直前のことです。なお林内閣はこの年の2月に任命されたので、僅か4か月の内閣でした。その名前の林銑十郎にもじって。「何もせんじゅうろう内閣」と皮肉られてました。


この日の朝日新聞から

気になった記事
 2面に「眠り魔の権威、山田博士客死、カラザール研究途中」とあります。中国で研究しており、移動の電車内で感冒、済南病院で亡くなりました。この山田博士をネットで調べましたが、何ら情報を得られませんでした。

目にとまった広告
 広告に中山太陽堂の「薬用クラブ歯磨、デパート各区の催し」とあります。クラブコスメチックスの前身の会社なのですが、知名度はありませんね。しかし戦前の中山太陽堂は「クラブ洗粉」や「クラブ化粧品」で有名であり、「東のレート、西のクラブ」と呼ばれておりました。そんな会社が歯磨分野に力を入れての販促活動広告のようです。因みに「レート」とは平尾賛平商店のことで、戦後解散しました。