19630707-02

My Favorite Things
(R.Rodgers - O.Hammerstein)
(17分35秒)



【この曲、この演奏】

 1960年10月21日のアトランティックでのスタジオ・セッションで収録され、1961年にこの曲名をアルバム名にして発売され、コルトレーンの代名詞になった曲です。1961年のヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ録音、つまりレコード発売が前提でのライブでは、アトランティックとの契約の関係で演奏できなかったとのことです。

 この1963年のニューポート・ジャズ祭でのこの演奏ですが、コルトレーン死後の1969年にアルバム「セルフレスネス」に収録されて発売されており、これもアトランティックとの契約が関係していたのかと想像させます。

 さて演奏ですが、この時期での演奏の特徴である冒頭部の印象的なサックスでもフレーズを、ここではコルトレーンはテナー・サックスで吹いています。その後はソプラノに持ち替え、軽快な演奏を繰り広げています。マッコイのリズミカルなピアノ、ギャリソンのしっかりとしたベース・ラインも光った演奏となっています。そしてドラムですが、エルヴィンが高速と急カーブを走り抜く演奏とすれば、ここでのヘインズは足回りの滑らかさが印象的な走りになっています。

 この曲の演奏は年を追うごとに姿を変えていき、一九六六年の日本公演ではギャリソンの長尺ベース・イントロも含め一時間の演奏となっていきます。この1963年のジャズ祭での演奏は20分を切っており、LPレコード片面に収まる内容です。そこにコルトレーンのソロで繰り出される技の数々が聴くものに印象深く残り、コルトレーン死後に発売のアルバムの中では高い人気となりました。



【エピソード、ロイ・ヘインズ、その1】

 ジョン・コルトレーンと演奏をともにするのは、まるで美しい悪夢の中にいるようなものである。
                   ロイ・ヘインズ


(コルトレーンがエルヴィンの代役を求める話)
 しかし、実際に協力を求めることが多かったのは、ヘインズの方だった。それというのも、フィリー・ジョーの場合はときたま演奏をすっぽかして顔を見せないことがあったからだ。そいうことから、コルトレーンは主にヘインズを頼りとしていたが、皮肉なことにヘインズは当時スタン・ゲッツと一緒に仕事をしていたため、彼がコルトレーンの演奏に参加できるのはゲッツのバンドの仕事がないときにかぎられていた。

 ヘインズが、コルトレーンの演奏の中で忘れることのできない、あの「マイ・フェイヴァリット・シングス」のライブ・レコーディングに参加したのは、一九六三年七月七日に開かれたニューポート・ジャズ・フェスティバルのことだった。その頃、ヘインズはまだ四分の三拍子で演奏していたが、この時はまるで四分の四拍子で書かれた曲のように、ゆったりと流れるような調子で主題提示部を演奏した。

(資料01より)



【ついでにフォト】

tp10009-096

2010年 ペナン、マレーシア、タイプーサム

(2021年4月28日掲載)