1977年4月2日(土)の新聞から

トップ記事

日経「国鉄 共済年金もピンチ、本年度は赤字転落、積立金取り崩す、高齢化で退職増える、再建計画 新たな重荷」
 この記事から10年後に国鉄は分割民営化されJRになり、鉄道共済年金は厚生年金と統合されました。その際に赤字だったのかとかの情報は、ネットから得られませんでした。

読売「背水の政治折衝 園田特使きょう訪ソ、農相会談も検討、政府 中旬妥結目指す」

朝日「ソ連 操業要求を撤回 日本の新領海内、暫定取り決め 最終ソ連案全文を入手、四島を含め線引き、200カイリ内の主権を強調」

 ソ連は園田特使のビザを取り消したり等の嫌がらせ策を行い、最終的にはソ連の200カイリ水域設定などを入れて、新たな日ソ漁業暫定協定が発効しました。


この日の朝日新聞から

気になった記事
 3面に「福神づけの酒悦倒産」との記事があります。酒悦は江戸時代から続くつけ物の製造問屋で、明治になって福神づけを考案して元祖を名乗っていましたが、ライバルの桃屋に市場を次第に奪われ、ついに倒産となったとのことです。

 この記事が3面にあることに驚きましたが、調べましたら酒悦は今でも存在しています。また東洋水産のグループ会社になっているようです。


目にとまった広告
 TV欄にあるビクターの広告は、「聞く・見る・録る=1機3役、男のステータス、ラテカセ77」を宣伝しています。これは、テレビ付ラジカセです。このタイプのオーディオ機器は1980年代前半まで、各社から発売されていました。ソニーは「ジャッカル」、日立は「見聞録」という愛称でした。


TV欄を見ると
 「テレビ朝日誕生記念」とした番組が、2つありました。13:00からの「スーパーはカラッポ、やがてくる資源ゼロ時代」、19:30から「ボクシング 世界Jウェルター級タイトルマッチ センサク・ムアニス対ガッツ石松」です。

 1957年7月に「東京教育テレビ」で免許を申請、同年11月に「株式会社日本教育テレビ」として設立、1960年12月に「NETテレビ」に社名を統一、そして1977年4月に「全国朝日放送株式会社」という社名になり、同時に「テレビ朝日」という愛称が制定されました。

 因みにボクシングですが、石松選手の再起戦は6回KO負けでした。