1962年3月13日(火)の新聞から

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日経「自主的に一、二隻、さけ・ます母船の削減、農林省の意向、業界の話合い期待」

読売「他国へ供与せぬ(米英仏同意せば)、ソ連外相、国連総長へ二書簡、核兵器、禁止で国際会議」

朝日「日米懸案の討議期待、15日に来日のハリマン次官補、日韓問題の話し合いか、19日に首・外相と会談」
 アメリカの次官補とは言え、大物政治家が来日するかのような扱いで書かれていましたので、このハリマン次官補について調べてみました。
 W・アヴェレル・ハリマンは投資銀行家として活躍した後に、トルーマン政権の商務長官(1946年 - 1948年)、ニューヨーク州知事(1955年 - 1959年)等を歴任しました。ケネディ政権になると政治担当国務次官になり、この新聞記事はその時期であり、それなりに権限が与えられていたようでうすので、日本側の対応も頷けるところです。この後には、ベトナム戦争終結に力を注ぎ、その大仕事の後は、表舞台から退きました。


この日の読売新聞から

気になった記事
 3面のコラム海外短波に「故国へ帰るゼロ戦」とあります。戦後アメリカで破壊命令があったことから、米にあるゼロ戦はワシントンのスミソニアン博物館にある2機だけとされてきましたが、LAのグリフィス・パークの交通博物館にも1機あることが、米退役飛行士によって発見され、日本に返されることになったとのことです。
 この記事を読み、本当に返されたのかネットで調べましたが、情報を得られませんでした。またつい最近、ラバウル近郊に放置されていたゼロ戦が日本に戻ってきましたね。

目にとまった広告
 8面の森下仁丹の広告に「ジンタンガム、干しブドウ」とあります。この会社がチューイング・ガムを発売していたのに驚き、さらにぶどう味ならば普通だが、干しぶどう味であるこに更に驚きました。

TV欄を見ると
 フジ21:00「スター千一夜、ジェーン・マンスフィールド」とあります。モンローと共に1950年代のブロンドのセックスシンボルだった彼女ですが、私の中では殆ど印象が無い方です。1957年と亡くなる直前の1967年の来日に関してはネットで情報を得られましたが、このスター千一夜に出演した1962年の来日については、情報なしでした。