1959年9月13日(日)の新聞から

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日経「ソ連、月ロケット打上げ、あす朝(日本時間)到達へ、フ首相の訪米を目前に、人口すいせいを放射」

読売「ソ連、月ロケット第二号を発射、明朝6時5分到達、最終ロケットは誘導式、最終段は1トン半」

朝日「ソ連、月ロケットを発射、明朝六時(日本時間)到達へ、モスクワ放送 、最終段階は一トン半」

 ソ連のルナ計画は、無人月探査計画であり、1959年から1976年までの間に、ルナ1号からルナ24号までを月に送った。アメリカとの激しい宇宙開発の中でソ連は、月面衝突を目指していた。3回連続の失敗の後の1959年1月に、4回目で月へ向かう軌道に探査機投入に成功し、これをルナ1号と名付けた。

 この記事にあるのはルナ2号であり、ルナ1号から1回の失敗を挟んでのものであった。このルナ2号は世界で初めて月面に到達した人工物となった。これから3週間後にはルナ3号を打ち上げ、月の裏側の撮影に成功した。この時点では宇宙開発において、ソ連はアメリカを引き離していたのであった。(ウィキペディアより)


この日の読売新聞から

気になった記事
 2面に「ア大統領に報告」との見出しの小さな記事があります。ハチガー大統領新聞係秘書が語ったもので、ソ連の月ロケットに、大統領は驚いていないと語ったとの内容です。普通に考えればこれは見栄であり、当然ながらアイゼンハワー大統領は悔しさめい一杯だったのでしょう。ちなみにハチガー大統領新聞係秘書とは、翌1960年のハチガー事件のジェイムズ・ハガティ(当時の日本の報道機関の表記はハチガー)のことです。


目にとまった広告
 8面に「アイレスカメラ」の広告があります。「名キャッチャー、明るいファインダー、優秀な頭脳部」と、宣伝しています。広告主はアイレス写真機製作所です。この会社は1949年にヤルー光学としてスタートし、順調に事業を推移してきて、1956年の工場火災での危機も乗り越えていましたが、新設計のレンズ交換式カメラの売れ行きが芳しくなく、1960年に倒産となりました。


TV欄を見ると
 日テレ 13:15からの「日曜劇場」は東京喜劇人劇として、「ネット裏に娘ありて」を放送しています。出演者は、榎本健一・柳家金語楼・古川緑波・水谷良重との豪華メンバーです。