1959年10月29日(木)の新聞から

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日経「衆院 質問戦に入る、安保で解散せず、首相答弁、浅沼氏再質問に、災害総合対策を準備」

読売「衆院で代表質問始まる、安保時代逆行、浅沼氏(社) 改定交渉打切れ」

朝日「衆院で代表質問、安保交渉打切れ、世界の大勢に逆光、浅沼氏」

 この60年安保法は、翌年6月19日に自然成立し、同月23日に発行となりました。そして同日に岸首相は総辞職を表明しました。ここまでの間に社党は徹底的に国会で戦ったのですが、その中においては西尾氏の離党と新党結成(社会クラブ→民主社会党)などもありました。


この日の朝日新聞から

気になった記事
 4面に「各種工場の建設、シンガポール依頼」とあります。外務省とジェトロを通じての申し入れで、製鉄・機械・繊維などの工場建設を望んでいたとのことです。

目にとまった広告
 12面社会面に、山口自転車の広告があります。「世界フライ級タイトルマッチ、ペレス対矢尾板、11月5日(木)午後7時30分から9時、山口自転車独占全国ラジオ中継放送」とあります。ボクシングの世界タイトル戦となれば、当時は国民全員が熱狂していたのでしょう。そんな多くの国民は、大半がラジオに噛り付いていたと想像します。
 そんなラジオ番組の独占スポンサーとなった山口自転車は、当時はバイクも製造し高い支持をえていたようです。しかしながら1963年には倒産してしまいました。
 そして矢尾板選手ですが、この年の1月にペレス選手とノンタイトル戦を行い、判定勝ちしていました。そんなことからこの11月の世界戦には、今のボクシング界では全く想像出来ないような期待がかかっていたのでしょう。そんな期待を受けて矢尾板選手は第2ラウンドにダウンを奪ったのですが、第13ラウンドにKO負けとなってしまいました。なおこの試合のテレビでの視聴率は、92.3%でありました。

TV欄を見ると
 KRテレビ13:00に「落語・声いろ」との番組があります。モノマネではなく、また声帯模写ではなく声いろ、まだそんな呼ばれ方をしていた時代だったのでしょう。