1957年3月26日(火)の新聞から

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日経「両条約に調印、欧州共同市場・ユーラトム、六ヶ国 年末までに批准」
 仏・西独・伊・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクが、調印した六ヶ国です。

 1951年に欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) 、1957年にこの欧州経済共同体 (EEC) 、そして1993年の欧州連合 (EU) となります。ただ欧州には、欧州経済領域 (EEA) や欧州共同体 (EC) があり、分かりにくい面があります。

 ユーラトムは欧州原子力共同体であり、EU体制の今でも存在しています。


読売「原子力の国際協力、ランダース博士を囲んで(上)、公開こそ基礎、政治性ヌキの直接話し合いで」
 ノルウェー・オランダ共同原子力研究所長のG.ランダース博士のことです。


朝日「きょう事実上回避、最低賃金の実力行使、勤務中の集会中止、総評、国鉄などへ指示」
 1980年代までは、日本労働組合総評議会(通称 総評)が、労働組合中央組織で力を持っていました。太田薫さんが有名でした。


この日の日経新聞から

気になった記事
 8面に「マーケットという名の総合食料品店」との記事があります。各食料品店が一カ所に集まっての営業形態が出てきて、従来の「お店」からの変わり始めたとの記事です。

 私が生まれ育った横浜の当時の新興住宅街では、この記事から10年後にマーケットという名の屋根付き商店街が誕生しました。八百屋・中華料理・美容室、反対側に豆腐屋・肉屋・菓子屋・魚屋が同じ屋根の下で営業しており、私は母親の後をついて買い物に行っていた記憶がありまあす。それから5年後にはすぐ近くにスーパーマーケットと冠したお店が誕生し、双方で競い合っておりました。この住宅街は駅から徒歩10分でしたが、駅周辺の開発で大型店が登場し、徐々にこの二つの住宅街密着型マーケットはさびれて行きました。1980年代に入る前にスーパーマーケットと冠したお店は月極駐車場となり、屋根付き商店街は入れ替わりが激しくなり、更には空き店舗となり、最後には危険だからと屋根が撤去され、2000年代に入り事実上なくなりました。


目にとまった広告
 13面最終面に「謝 近火御見舞」との広告があります。新宿 中村屋のもので、「おかげ様にて被害もなく平常通り営業致します」と書かれています。中村屋の近くで火事があったがウチは大丈夫、御見舞ありがとうね、とのものなのでしょう。私は火事絡みの経験がなく、この近火という言葉に馴染みがありませんでしたが、「近火御見舞」とは今でもある習慣のようですね。


TV欄を見ると
 KRテレビ 12:40から「私の女性写真」との番組があり、松島進は出演しています。この番組の情報は、ネット上にありませんでした。また松島進氏の情報もネット上にないのですが、その著書はAmazonに出品があります。「女性撮影の実際 (1951年)」「女性美の写し方 (1951年) 」であり、この時代のポートレイト写真家として名のあった方なのでしょう。