1954年4月30日(金)の新聞

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日経「貿易自由化の体制を整備、総合均衡に主眼、大蔵省。通商政策を再検討、 一部清算勘定国に、実勢相場も考慮」
 背景には、ポンドがドルへの交換性回復を前にしてポンドとドルを区別する必要がなくなったこと、またオープンアカウントの課題が大きくなったことがあります。これを受けて通商政策を自由貿易に移すことへの検討が始まったのです。

読売「連休明けの国会、会期で一波乱か、首相・副総理会談、緑風会了解工作へ、質疑打切りは困難、教育法案、きょう参院文部委」
 課題となっていたのは教育二法の他に、警察法改正案、防衛二法案、秘密保護法案がありました。緑風会とは参院にだけあった会派であり、貴族院の流れを汲むものでした。参院では強い影響力を持っており、この教育二法案は緑風会の修正案が可決されたのでした。また時代は保守合同へ向けていた時期であります。さまざまな動きを経て、自由党と日本民主党が翌年11月に合同し、自由民主党が誕生しました。また社会党も再統一し、いわゆる55年体制となったのです。

朝日「緑風会、支持に傾く、教育二法案、成立は確実、参院文部委、きょう質問打切り、会期約廿日間延長か、政府考慮、法案の審議停滞に」
 当時は造船疑獄の真っ只中、この月の21日には佐藤栄作逮捕に対して、犬養法務大臣が佐藤検事総長に対して指揮権を発動させました。こんなことで、国会審議は停滞していたのです。


この日の日経新聞から

気になった記事
 日経の最終面と言えば「私の履歴書」ですが、これは1956年から開始されれたもので、1954年のこの日は「中小企業」というページ名でした。
 そこに「美人コンクールの功罪について、二三の事例を拾う、特にご婦人連に人気、確かに売上はふえる」との記事があります。商店連合会か美人コンクールを主催し、各商店会が候補をたてるものです。投票はお客さん。購入額に応じて、通常の割引券に加えて投票券が受取り、投票する仕組みでした。プラス面は売上増、マイナス面は商店会同士の団結にヒビが入ること、また財産を投げ出して投票券を得る人達がでたことでした。「気苦労多くてやり切れない」との関係者コメントです。今ではこのようなもの、考えられないですね。


目にとまった広告
 小さな広告に東山堂、「便箋とノート」とあります。この東山堂の今はいかに、との思いで調べました。いくつかあるのですが、真っ先にヒットする京都の東山堂は武道具店なので違うもの。盛岡に本店を書店チェーンに東山堂というのがあり、操業は1905年です。「便箋とノート」を扱って当然なのですが、地域限定店なので、全国紙への広告には疑問ありです。明快にならぬまま、調査終了です。


TV欄を見ると
 TV欄は、NHKと日テレの2局だけなのですが、夜8時の番組は次の通りです。NHK「政治討論会、駒沢大学講堂、各政党代表」、日テレが「映画 暁の脱走 第2日」です。政治討論は造船疑獄一色でしたでしょう。